沖幸子イメージ
仕事人秘録
日経産業新聞連載

 新たな家事の形探るB

   沖氏は1969年4月、全日本空輸(ANA)に客室乗務員として入社した。
   

   大学卒業より一歩先に始まった研修では、いろんなことを学ばせて頂きました。英会話
  や航空機の構造に関する座学に加え、美しく見える歩き方のレッスンなどもありました。
  客室乗務員の同期は27人。そのうち、大卒は4人しかいませんでしたが、同期の仲間の多
  くと今でも仲良くさせてもらっています。
   数か月たつと、早くも訓練生として飛行機に搭乗するようになりました。当時は羽田空港
  から大阪の伊丹空港まで45分かかりました。お恥ずかしい話ですが、機内サービスが完全
  に終わらないうちに着陸してしまうような失敗も何度もしでかした記憶があります。
  客室乗務員の仕事は本当に楽しく、やりがいがありました。国内線が中心でしたが、何より
  自立している実感がありましたし、給与が大卒男性の約2倍の水準だったことも魅力的でし
  た。
  昼と夜の境目に生まれる美しい景色を機内から見るたびに、言いようのない満足感に浸っ
  たことを昨日のように思い出します。
   ただ入社して1年も過ぎると、今後の人生について考え始めました。その当時、客室乗務
  員の定年は30歳で、結婚したら退社するのが原則です。航空機事故を心配して、母からは
  「一刻も早く辞めてほしい」と再三言われていたうえ、もっと様々なことを勉強したいと考えて
  いたこともあり、71年5月に退社しました。

   客室乗務員辞め自分探し
    
    沖氏はいったん、故郷の兵庫県姫路市に戻り、自分を見つめ直す日々を送った。

   姫路には1年半か2年くらい滞在し、次に携わる仕事を何にするか真剣に考え抜きました。
  客室乗務員をした後は、できればサービス業以外の仕事がしたいと思いました。そこで翻
  訳士の資格を取得したり、大学の講義を聴講したり、自己研さんに努めました。
   生活情報誌として創刊されたサンケイリビング新聞社にフリーライターとしてコラムを何度
  か寄稿したこともあります。商品開発者をインタビューしたり、新製品の紹介記事を書いたり
  するなど、すべてが貴重な経験になったと思います。そんな活動を続けるうち、ものづくりや
  マーケティングに興味が湧き始めました。
   「組織の中でマーケティング活動などを実践したい」。私の心の中で強い欲求が芽生えて
  いました。これを実践するにはメーカーに入社するしかありません。私が新聞で1つの求人広
  告を見つけたのは、まさにそんな時期でした。ライオンが中途採用で社員を若干名募集する
  と書いてあります。何段階かの試験を突破し、80年5月にライオンに入社。配属先は研究所
  でのマーケティング担当でした。
                                          (2010.12.8 日経産業新聞)

 


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