沖幸子イメージ
仕事人秘録
日経産業新聞連載
新たな家事の形探るA

   沖氏は1946年、兵庫県姫路市に生まれた。
   

   ごく普通の中流家庭で育ちました。子供の頃から3歳下の弟らを引き連れて野山を駆け
  巡ってばかりで、「勉強しなさい」と言われたことは一度もありません。ただ小学校の高学年
  になると、徐々に読書に関心を持つようになりました。これは父がたびたび本をプレゼントし
  てくれた影響かもしれません。
   関西電力の技術者だった父はとても進歩的で厳しかった人ですが、進路に迷った時には

  適切な助言をくれ、そっと私の背中を押してくれました。
   中学校は自分の意志で地元にある賢明女学院に進学しました。カトリック系で良妻賢母
  の育成をモットーとする学校なのですが、入学してみると校風が私の性分に合いません。
  そのため、中学3年の時に公立の中学に転校しました。わずか1年で高校受験に備えるの
  は大変でしたが、なんとか兵庫県立姫路西高校に合格することができました。
   高校時代は新聞部に入部。比較的静かな生徒だったと思います。この学校には1学年の
  うち女子生徒は3分の1しかいませんでした。高校2年の時に開かれた学年劇でヒロインに
  抜擢されたときにはとても驚きました。同学年の生徒の投票で劇中の様々な役を誰にする
  かを決めるのですが、自分自身を改めて見つめ直す良い機会になりました。

   ANA入社、父が背中押す
   65年春、現役で神戸大学教育学部に進学した。

   当時は女子学生が4年制大学に進学するのが非常に珍しかった時代でした。母からは
  他県の大学に進学することも、浪人することも絶対に許さないときつく言われていたことに
  加え、教員免許など資格も取得できることが神戸大の教育学部を受験した理由です。
  在学中は自由な雰囲気で学ぶことができ、充実した日々を過ごしました。
  大学4年生のときに就職活動を始めましたが、女子学生向けの企業の求人はほとんどあり
  ませんでした。
  仕方なく、兵庫県の教員採用試験を受けましたが、8月上旬に全日本空輸(ANA)の求人
  広告を新聞で目にしました。長年、東京での生活に憧れを抱いていた私はどうしても入社
  したいと思いました。効果があるかどうかも分からないのに、わざわざゼミの教授に推薦状
  を書いてもらって応募したのは懐かしい思い出です。
   最終的には教員採用試験にパスし、ANAからも内定をいただきました。両親には「ANAで
  客室乗務員をする」と伝えると、母は猛反対しました。父は「教員はいつでもできる。今しか
  できないことを選びなさい」と私の希望を尊重してくれました。
   69年2月、ANAでの研修がスタート。叔父の家に寄宿しながらの東京生活が始まりました。
                                          (2010.12.7 日経産業新聞)

 


OKI SACHIKO リビングインターナショナル 
〒151-0053 東京都渋谷区代々木   TEL 03-5715-7454  FAX 03-6715-7452